手仕事の日本(柳宗悦著、岩波文庫、1985年刊)


 「民藝(みんげい)」という言葉を生み出したのは、柳宗悦です。生活の中で使われてきた道具に「美しさ」があるということを見つけた、と言われています。いまでは、実用の美というのはかなり意識されていますが、柳宗悦が民芸ということを言うまで、日本人はその道具を「便利」だとは認識していましたが、「美しい」とは思っていなかったのかもしれません。「手仕事の日本」は、そういう日本の伝統的な様式美があることを見いだすために、日本全国を旅して、日本の手仕事をリポートしたものです。旅のいくつかには、島根県安来氏出身の河井寛次郎も同行しているとのことです。

 戦前の昭和18年に後書きを書いていますので、その直前の2年ほど、全国を回った中で、島根県にも立ち寄っています。紹介されているのは以下の通りです。
水瓶(浜田)
石州半紙(石見)
出雲算盤(亀嵩
日出団扇(塩冶)
布志名の焼物(玉湯)
袖師窯(松江)
八雲塗(松江)
裂織(山佐)
和紙(岩坂)
 このほか、「出西の窯が良い品に努力しつつあります」と述べています。出西窯のことでしょう。特に石州半紙については、日本の紙は「石見が日本の発祥の地」との見方を披露しています。この中には、今は絶えてしまったものもありますが、島根の手仕事のすばらしさに柳も非常に感心している様子がありありと表現されています。

 日本の暮らしの中に日本の固有のすばらしい芸術が潜んでいることを見いだした柳宗悦ですが、昭和18年に書いた後書きに、以下のような文章を残しています。
「われわれはもっと日本をみなおさなければなりません。それも具体的な形のあるものを通して、日本の姿を見守らねばなりません。そうしてこのことはやがてわれわれに正しい自信を呼び醒まさせてくれるでありましょう」と、日本の固有の優れた点を見直すように指摘した直後にこう記します。「ただ一つここで注意したいのは、われわれが固有のものを尊ぶということは、ほかの国のものを謗るとか、侮るとかいう意味が伴ってはなりません。もし桜が梅を謗ったら愚かだと誰からもいわれるでしょう。それに興味深いことには、真に国民的な強度的な性質を持つものは、互いに国は違え、その内側には一つにふれあうもののあるのを感じます、この意味で真に民族的なものは、お互いに近い兄弟といれるでありましょう。世界は一つに結ばれているということをかえって固有のものから学びます」。なんとすばらしい文章でしょう。日本全体がナショナリズムに流されていた時代に、これを書く柳の心の奥深さに感動です。それぞれの民族の暮らしの中の本当の具体的な形の中にこそ、人々の営みという共通性が潜んでいるのでしょう。

そして、戦後の日本が、日本の古い時代のものをすべてかなぐり捨てて、新しいものに価値を見いだす世の中になってしまいました。しかし、最近になって、そうした「手仕事」の大切さに気づき、仕事に選ぶ人や、古い道具の面白さを見直す機運が高まっているように思います。この本は、地方に暮らす人たちに勇気を与えてくれる書でもあります。柳は「地方的な郷土の存在が今の日本にとってどのような役割を演じているか」とこの旅の意義を論じていました。暮らしに根ざした地方の暮らしが見直されんことを祈ります。