能海寛チベットに消えた旅人(江本嘉伸著)


能海寛は明治元年浜田市金城町波佐の浄土真宗大谷派のお寺・浄蓮寺に次男として生まれた人です。仏教のルーツを求めてチベットを旅して、行方が分からなくなりました。この本は、なぜ能海がチベットに向かわなければならなかったのか、なぜ消えたのかについて、読売新聞記者だった著者が描いた本です。

今も浄蓮寺に行くと、大きなお寺です。本堂の前には能海の功績をたたえる記念碑もあり、今も、能海を慕う地元の人たちに顕彰され、大切にされている人です。20代で「世界における佛教徒」という本を自費出版して、仏教の発展にはチベット大蔵経の原典を入手しなければならないとして、チベット探検を志します。31歳の時、結婚したのですが、一人で中国に渡り、幾度もチベット探検にチャレンジします。

最後にはチベットに入るという手紙を残して、消息と絶ちます。その後の調で、現地で襲撃されて死亡したとされています。ただ、私はその後もチベットで生き続けたのではないかなどと夢想しています(何の根拠もありませんが、そうだったらいいなあと思う次第です)。旅の中で、『金剛般若経』や『金光明経』などのチベットの教典などを日本にもたらし、今も大切に保管されているそうです。

石見の偉人の一人として、地元の波佐文化教会などが、顕彰活動を盛んに行っています。明治の時代に、世界に目を向け、旅に生きた石見人として尊敬してやみません。

石見と浄土真宗の関わり、石見人がなぜ外に出て活躍したり旅に出たりするのか、そんな、石見のDNAについて間がえてしまいました。

求龍堂、1999年)