千鳥城取立古説(堀恵之助編著)


千鳥城は、国宝に指定された「松江城」の別名で、この本は、慶長12(1607)年に築城された当時の記録をまとめた古文書です。原本は既に失われているとのことですが、島根県立図書館に写本が伝わっており、元教員で松江市史の編さんに携わった著者が、原文と、書き下し文と、それをもとにした現代語訳で構成されています。

堀尾吉晴が、床几山から眺めて、亀田山という今の城がある場所を決めたというのは有名な話しですが、そういう築城にまつわる記録です。国宝の松江城を学ぶときの一番のもととなる資料かもしれませんね。

(中原健次発行、1993年)

歴史の落ち穂拾い 出雲・石見(石村勝郎著)


松江市生まれで、大田市に在住された著者は、石見銀山の歴史に造詣が深く「石見銀山異記」など石見銀山にかかわる多くの著作を残しておられます。その著者が、島根の歴史のこぼれ話を縦横無尽に展開するので、ちょっとした時間に少しずつ読み進めたい本です。トイレに置いておくといいかも。

邑智郡や那賀郡にある{大原神社」は、尾張系の神さまで、これがどうやって石見地方に伝わったのか。オオクニヌシが昔はいじめられっ子だった、とか、歴史のちょっとした面白さを伝えてくれます。

(2000年、つきはし印刷)

さいか再見(清水利美著)


松江市雑賀町は、足軽鉄砲衆が住んだ街で、決して裕福だったわけではないのでしょうが、みんな勤勉で、勉強熱心な街として知られています。戦前の首相・若槻礼次郎や、近代スポーツの海の親とも言える岸清一、法律学者の梅謙次郎らを輩出しています。

そういう街はいったいどうやってできたのか。この本では、雑賀町に残る遺構を丁寧に広いながら、街の形成の歴史や、特に井戸のことについて水の確保に苦しんだと思われる雑賀の人たちの苦労などが分かります。地元の歴史は、こうやって、一人一人の小さな努力がまとまった1冊の本によって構成に伝えていくことでできていくんですね。

(2016年、自費出版

出雲大社の暗号(関裕二著)


出雲大社は、奈良の大仏殿よりも高かったという伝説があって、これは戯れ言と言われていたのですが、2000年に出土した出雲大社境内遺跡によって、ものすごい太い柱が出てきて、巨大神殿の存在が裏付けられました。そのなぜ巨大なのか、という謎については、まだまだはっきりしたことが和からないのが本当ですが、大和の国が、出雲の国を何らかの形で封印する見返りというのが考えられると思うのですが、それでも48メートルもの高さにする必要がどこまであるのか分かりませんですね。そんな謎に、一つの方向性を示してくれる1冊です。

(2010年、講談社

出雲大社の暗号(関裕二著)


出雲大社は、奈良の大仏殿よりも高かったという伝説があって、これは戯れ言と言われていたのですが、2000年に出土した出雲大社境内遺跡によって、ものすごい太い柱が出てきて、巨大神殿の存在が裏付けられました。そのなぜ巨大なのか、という謎については、まだまだはっきりしたことが和からないのが本当ですが、大和の国が、出雲の国を何らかの形で封印する見返りというのが考えられると思うのですが、それでも48メートルもの高さにする必要がどこまであるのか分かりませんですね。そんな謎に、一つの方向性を示してくれる1冊です。

(2010年、講談社

亀井茲矩(横山正克著)


津和野藩の藩主として知られる亀井家ですが、その始祖はこの亀井茲矩(かめいこれのり)です。尼子氏の流れをくみ、尼子の滅亡後、山中鹿之助らとともに、尼子再興を果たします。その後、織田信長豊臣秀吉らをバックに宿敵毛利と戦うなど、中国地方の戦国時代を駆け抜けました。その後、鳥取鹿野城主となりますが、その後、津和野に転封となりました。

この本は経済人の著者が、亀井家のことについて書いた随筆をまとめて出版したもので、亀井家の流れがエピソードを添えながら掲載されていて、気軽に読める読み物になっています。尼子、毛利、亀井など、古里の歴史は知っておきたいですね。

(立花書院、1993年)

国宝・松江城〜美しき天守(西尾克己著)


松江城が国宝になってから、観光客が堪えなくなった松江城周辺。関連の本もたくさん出版されました。この本は、松江市編集委員会松江城部会長を務める著者が、松江城天守の歴史や、構造、いわれなど多角的に松江城を解説した本です。

松江城は松江のシンボルでもあり、松江城のうんちくの一つでも、訪れた知人たちに自慢しましょう。

山陰中央新報社、2015年)